身近な暮らしの心理学 ~統計心理学i-color×心屋流~

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ただ話したいだけ

話したいだけってことありませんか?

 

ただ聞いてもらいたいだけ

 

反論も正論もいらない

 

批判やアドバイスはなおのこといらない

 

心配していないし、されたくないし、お互いに。

 

 

ただ、話したいだけ

 

自分の外に出したいだけ

 

 

「言えると癒える」

 

 

この効果って、思い切って告白します!みたいな大きなこともそうだけど、日常の何気ないおしゃべりでも威力を発揮していると思うなあ。

 

 

 

この前、久々に会った友達との時間がとても心地よかった。

 

お互いにぽつぽつと話して、近況報告だったり、家族の愚痴ともつかぬ笑い話だったり、ちょっとシリアスな心のことだったり…

 

 

そんな時も、私の頭の中はぐるぐるしてしまうし、どんなに仲が良くても相手に不快な思いをさせないように、という気遣いは自然発生してしまう。THE前者^^;

 

それでも、話せることのなんと大きいことか、と思う。

 

そして、帰り道、帰ってからの余韻もあなどりがたし。

 

 

 

ふだん、話を聴く側に回ることの多い私だけど、話すことの大切さを改めて感じます。

 

私が聴く側に回りやすいのは職業柄というより、実家での役割から来てる部分が大きい。

 

自分の話をする大人に囲まれていた。

 

私の話をいつの間にか自分の話にすり替えてしまう大人たち。

 

友達にもそういう人いたな。

 

それはそれで楽だと思って黙って聞いていたこともあったし、面白いこと言って笑わせるのは好きだったし、聞かれればたいていの事は答えていたと思う。

 

 

 

なので、昔、心理学の勉強会で傾聴を学んでいた時も、先生に褒められていたし、この前挫折した某カウンセラーのスクーリングの時にも講師に驚かれた。

 

カウンセラーになるよりもっと前、私はお悩み相談やら愚痴やら深刻な話やら様々聴いてきた。

 

私は聴く役だという前提も持っていたのでしょう。

 

聴かないといけない、自分のことばかり話してはいけない、相手に話をしてもらうのが大切…実家で編み出した呪いだな^^;

 

 

 

一時期、人の話を聴くのが嫌になった時期があった。

 

もういい、もうおなかいっぱい。

 

もう聴きたくない。

 

 

なぜか私に話してくる人が次々現れて、その瞬間は聴けるのだけど、後からエネルギーをすごく使っていることに気づき、しんどくなるのでした。

 

そうすると人と距離を置くようになり、人と話さなくなって、久々に人と話すとああ、いいなってまた思う(笑)

 

で、聴きすぎるとまた疲れて、しばらくはいいやって引きこもり、落ち着いた頃にまた出てくる。

 

 

そんな遠回りループを繰り返しながら、自分なりのバランスを探しているところ。

 

小さく気づき、練習しようと意気込んでみたり、言えなくてあーあと思ったり、同じこと繰り返しちゃったりしながらも、「言えると癒える」を実感し、自分と人とのちょうどよい距離感を考える。

 

死ぬまで課題なのかなーと思ったり、その時々で距離感おかしくてもしゃーないかと思ったり、これまでいっぱい我慢してきたから、今後は自分の嫌じゃない方に頑張ろうと思ったり。

 

 

目的を持たなくても話していいし、落ちがなくてもいいし、面白くなくてもいいし、責任とらなくていいし、そんな縛りを勝手に自分に課してるのは私自身。

 

あれこれ考えすぎる自分は本当に真面目でオカシイ人だなって気づけるようになっただけよかった。

 

 

 

私にも”ただ話したいだけ” が、ある

 

同じように ”聴きたくない” 時も、ある

 

どの自分でいてもいい、自分がそう思えていれば、好きなだけ揺れていい

 

そんなお話。

 

 

 

 

 

 

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